カリスマ性について

先日ファシリテーション講座の講師チームで、なぜかカリスマ性の話になり、我らが民ちゃんこと中野民夫さん(Be-Nature Schoolのファシリテーション講座の基礎をつくった人)にカリスマ性があるかどうかで大いに盛り上がりました。

皆で話したのは、カリスマというと少しアクがあったり、押し出しの強い感じ。中野民夫さんはどちらかとうとピュアで誠実なイメージだし、さほど派手さもない(つまりあまり華がない・失礼!)ので、カリスマ性は無いよなぁとなりました(笑)。

でも、ファンも多いし、人気者ですよね。私が思うに彼にはカリスマ性はないかもしれませんが教祖さまの才能はあると思います、本人は全く望んでないと思いますが。※あ、誤解を招くといけませんので、補足ですが、実際にそうだといっているのではありません。念のため。

さて、そんな中野民夫さんの新著『みんなの楽しい修行』の出版記念イベントをお手伝いさせてもらいました。

11/29には曹洞宗のお坊さん、藤田一照さんとの対談だったのですが、この一照さんがとってもかわいくてとても60歳とは思えないぐらいキラキラしてて素敵でした。やはり華があるんですね。で、中野民夫さん、独特の存在感はあるのですが、やっぱり一照さんに比べて地味だよなぁと思っちゃいました(ゴメンナサイ)。

そして翌日が半農半Xの塩見直紀さんとの対談でした。この塩見さん、初めてご一緒しましたが、とにかく控えめというか、地味というか、御本人も言っていましたが、普通を絵に描いたようなひとなんですね。

塩見さんといると中野民夫さんがすごく華やかで目立つ存在に感じてしまいます。講演や講師を長くやりながら、ココまで地味な(スイマセン!)な人は初めてみたのである意味衝撃でした(笑)。でも、塩見さん、1日の中でけっこう押しが強いのではないかと思うことがありまして、実はこの地味さは戦略的だったりして・・・。

1回しかお会いしてないのに勝手なことをいって本当にスイマセンが、なんというかもっといろいろな側面が出てきそうな予感がして、とても興味を引かれる方でした。

ということで、中野さん、いろんな刺激や出会いをくれて本当にありがとう。感謝しております!地味とか言ってスイマセン。本当はそんなことは無いです。はい。

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属国日本

日本ってアメリカの属国みたいなもんだよなぁ、と思ってはいましたが、コレを読んで「みたい」ではなくて「ほぼ完全に」属国なのがわかりました。コレとは矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』です。

主に戦後の世界体制と日米関係、そして日本国憲法の話で、原発のことはあまり出てきませんが、今の日本の変なところ、たとえば戦後70年も経っているのに、米軍が堂々と駐留して日本がすごくお金を負担している理由などが、わかりやすく解説されています。

この本にはありませんが、自分がずっと違和感を持っていたのが、なぜ「敗戦記念日」と言わずに「終戦記念日」と言うのか?ということ。8月15日は昭和天皇の玉音放送があった日なので、その日をどう呼ぶかはそれこそいろいろ経緯はあったようですが、それはそれとして色々なことをごまかしながら戦後が進んできたのは事実ですよね。まあ、そうゆう体質、自分にもあるなぁと思いました。

子ども心に安保闘争とかをニュースで見た記憶がありますが、安保条約がそこまで、つまり日本国憲法より効力を発揮するモノだとは、大人になっても知らなかったですもんね。いまや、その存在が問題になることすらないぐらい、深く日本に浸透しているわけです。もちろん継続して問題を指摘し続けている人はいるのだと思いますが、自分はキャッチする感性も能力も無かった。

これって確かに原発問題にも共通点はありますね。2011年の福島第一原発の事故を契機にネットでいろいろ原発について調べましたが、反原発の言論は2000年頃を境にほとんど無くなっていました。その時「ああ、このあたり(2000年頃)で反原発運動は完全に敗北したんだな」と感じたものです。カウンターパートの力が封じこまれ、問題指摘が適正に機能しなくなってしばらくしたら、本当に事故が起きて最悪が現実になってしまった。そんな感じです。

折しも国政は衆議院解散総選挙ですよ。どうしましょう国民。私の感覚では戦後の体制を見直す本が、同時に数冊出版され話題になっているような気がします。日本が追従してきたアメリカが、戦後ずっと維持してきた輝きと力強さを本当に失いつつある現状を反映しているのかもしれません。3・11をきっかけとした、現状の価値観の揺らぎも大きいと思います。

気候変動も含め世界は確実に動乱期に入った、そんな気がしています。

 

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買い物が喚起するコト

高い財布を買ってもすぐになくしてしまうので、しばらく高級品の買い物は避けていましたが、久々に買ってしまいました。モノはダウンコートです。スーツの上に着てもジャケットが隠れるぐらいの丈の長さで、軽やかなモノをイメージしていたのですが、実際に買ったのはかなりヘビーデューティーな代物。

やってしまった、完全に東京にはオーバースペックです。でも気に入っちゃったんですよね。家に帰って改めて着てみると「こりゃ熱くて着るチャンス無いぞ、失敗か!」と思うと同時に妄想が拡がります。

どこまでもつづく冬の平原を走る列車。夏は緑色に輝く田んぼの大地も雪で白一色です。車窓から冬景色を眺めながら暖房の効いた車内を薄着で過ごし、目的地の直前にこのダウンを着込んで駅に降り立つ。極寒の野外でもなんて暖かくて心地良いんだ!すぐにクルマにのるのはやめて少し歩こう。                          とか

冬の北海道・札幌はススキ野。人が行き交う極寒の街をこのダウンを着て歩く。寒い、でも暖かい。ふと目にとまったバーに入ってコートを脱ぐ。気分は『探偵はBARにいる』だ。北国の室内は暖かいから薄着にこのダウンで良かった。一杯ひっけてまた外にでてもう少し寒い冬の街を満喫しよう。                         とか

当然ながらなんか買うと使いたくなりますよね。アウトドアの道具もそんな要素が強いですよね。いまや「所有からシェアへ」なんていいますが、やはり自分のモノを買うと気分があがります。行動を後押しする買い物。コレ良いな。たとえばダウンのコートを買ったから北に旅するとか。

なんかそんな商品開発をしたくなりました。

※追記                                     なんと、2014年最初のブログがコレです。11ヶ月も書いてなかったんですね。反省して改めます!

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今年の締めくくり〜なくしたものの続き

とうとうなくした財布。しょうがないので新しく買った財布は、これまたまあまあの高級品です。どうにも財布に関しては高い物を買う癖があるみたいでスイマセン。その高級財布ですが、先日トイレに落としてしまいました涙。

東急本店のトイレになぜだか財布だけを持って入ったわけです(ちなみに大の方ですね)。忘れたらいけないと意識しているので、便器の奥の台というか、まあとにかく目立つところにおいて用を足して水を流して、財布を手に取ったとたん、つるっと落としました。便器の中に。

直ぐに救出して慌てて拭いて、対応したのですが、なんだか革がふにゃっとなってしまい、パキッとした持ち味が台無しに。ええ、一瞬しか浸かってないのに〜、これって安物?革じゃなくて紙かぁ?と思っても落とした方が悪いですよね。

この財布落とし事件。どんな意味があるんだろうと、再び考えこんでしまいました。気をつけないとまた大事な物をなくすぞ!なのか、かっこつけてもダメだぞ!なのか、正直解りません。でも、なにかを警告している感じですよね。財布はふにゃっとしたイマイチの状態なので、使うたびに思い出し考えます。いったいなんなんだったのかと。

今年は財布をなくしただけでなく、いろいろあった年でした。出張先の沖縄で扁桃周囲膿瘍で入院し、ワークショップに穴を空けてしまったり、その後すぐに母をガンで亡くしたり。夏はイベントが忙しかったですが、秋には急に事務所を引っ越さなければいけなくなったり。周りとのコミュニケーションもなんだかぎくしゃくすることが多かったかなぁ。

正直10月末ぐらいまで、気分は基本的には沈み気味でした。でも年末に向けて社内でのコミュニケーションも活発化し、引っ越しプレッシャーがかえって会社の存在意義を再確認することにもつながり、わりと前向きな気持ちで年末を迎えることができたと思います。

そして恒例の自宅の大掃除。クルマもガソリン満タンで洗車するわけですが、今年はケチって車内の掃除は頼みませんでした。そこで、ガソリンスタンドから戻って掃除道具を持って車内清掃をしているときに、あれっ?という違和感が。なんか見慣れない物が運転席のドアポケットに。そしてそれを取り出したら……、な、なんと!無くしてしまった財布でした。

えええ〜!何度もクルマの中を探したのに!一度じゃないですよ。何度もです。でもその時はまったく気づかなかった。本当にびっくりです。これはきっと宇宙の隙間ポケット入っていたものが、突然地球にもどって来たに違いない。まじめにそう思いました。

でも、あきれたと同時になんだかうれしかったな。なくしかけていた本当に大切な物を、なくさずに済んだんだって思ったからです。そして「本当に大切なものはものすごく身近にあるんだよ、それは無くなったわけではなく、自分が気づかなくなっただけなんだよ」というメッセージに思えたからです。

いや〜、まいった。本当に参りました。ちゃんと考えてみると、バックの中に入っていたはずの財布がそこにあるということは、自分で入れたか、それこそ宇宙からしみ出してきた以外にありません。そこでさらに「大切なものを見えなくしてしまうのは自分自身なんだよ」というメッセージを感じます。

あ〜でも、ホントに年内にこんな落ちが待っていたなんて。妻からは「信じられない。あったものを見つけられずに見逃すなんて、ますます信用できない」と言われましたが、お財布が出てきたこと自体は悪くは思ってないようです。

ちなみに8千円ぐらいと思った現金は4千円しかありませんでした。ビックカメラのポイントカードやTカードが出てきてこれはラッキー。結構ポイントたまってますから。紛失再発行手続きをしたクレジットカードにはハサミをいれて処分。

そして残ったのが、財布。どうしよう、お財布が二つあってもねえ。とりあえずは最新の財布を使うことにして前のは引き出しにしまいました。この2つの財布は何を意味するんだろう?そして新品の財布を便所に落としてしまった意味って?そこに込められたメッセージはなんだろう?いまはそう深く考えるのはやめましょう。きっとそのうち思いつくでしょう。そんなのんきな気分になれて、まあ、よしとしましょう。

さて、今年最後のブログはずいぶん長くなってしまいました。最後まで読んでくれてありがとう。そして、皆さん、よいお年をお迎え下さい。

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なくしたもの

ついに財布を紛失しました。10月にここで書いたように、今年に入ってからスマホを一回、財布を一回なくし、幸いにも両方見つかるということがありました。そして11月。三度目の正直とばかり、再び財布を無くしました。今度はみつからないでしょう。どこでどうなくしかたが解らないからです。

さて、スマホ・財布という大事なものを連続して無くしたとき、それをどう捉えるか。もっと大事なものをなくすかもしれないので、注意すべしという天からのメッセージだとしたら……、と書きましたが、その時は再び財布をなくすとは思っていませんでした、トホホ。

そして今回財布をなくして気づいたのは、本当に無くしたものは他にあるということです。

一つは信用。この三度目の正直でもともと薄かった妻からの信用は砕けました、こいつはダメだと。多分少なからず妻以外の人にもそういう印象は与えますよね。まあ、それをあえてここで書いているわけですが。

そしてすでに失っていたものは、注意力とか確認する力とか、そういったものです。この財布事件を少し年上の先輩に話したら、とにかく「気をつけた方がいいぞ」というアドバイス。これからどんどん、そうなっていく。年なんだから、という意味です。つまり失っていたものは若さであると。

そして直接財布とは関係しませんが、時期を同じくして失いそうな危機にあるものがあります。すでにある程度失われてしまったかもしれない。現在進行形です。

こうして思うのは、「大切なもの」とはまさに目に見えなくて、普段はあたりまえに思えて、なくしてみないと解らないものなんだと。そして一度失ってしまうと、取り戻すが難しい。もしくは取り戻せた様に見えても、実は変質してしまっていて、全く同じにはならない。

そんなことはあらゆるところで言われてますよね。まったく今更なんですが、忘れてしまうんですよね。愚かです。

でも誰でも年は取るし衰えもする。気持ちも状況も変わる。つねに自分が同じで有り続けることができないのも事実。だとすると本当に大切な物を保ち続けるにも自分は変化していかなければいけない、何かが衰えたら別の何かでそれを越えていく。それを成長というのでしょうか。

つねに、成長しつづけないと、大切なことを保てない。変化しないと失ってしまう。ということは成長を意識しなくなったとき、その人はすでに死んでいるということか。厳しいなぁ、人生。でもこれはある意味正しい気がします。まだ自分は成長への意欲がある、そう信じないと人生はつらいものね。

ちなみに物としての財布ですが「もうパンツは履はかない」といった勝新太郎的言い訳で、もう持ちたくないといったら、妻から一喝。ちゃんと買って責任もってなくさないで使うべしとのこと。ごもっともなので買いに行きました。で、なくした財布と同じものものなぁと思いつつ売り場にいってみたら、自分の記憶より高かった。自分、こんな高い財布をなくしたのねと再認識して再びがっくり。

結局違うタイプの物を買いましたが「本当に大切」なものはこう簡単には行かないよねぇ。しかしここはしっかり踏ん張るしかないな。

なにが本当に大切なのか、それを常に忘れずにいきたいと思います。

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